様々なアイディアは星の数ほどあって、それは流星のように降り注ぐ。それが星の屑になるか、とこしえに輝く星の瞬きとなるかは、運否天賦というものであろう。 アルジェ・ハイゼンベルグは、夢の研究を続けるうちに、世界の意思とも換言できる生物の集合体としての人間の共同無意識の世界を垣間見た。そして存在論の果てにいたり、ついには運命そのものをねじ伏せた。 だが、力の源、イレギュラーを生み出す根源には至らなかったのだ。 その結果として、はまり込んだのがこの星屑の世界。世界の外側に追放されて、一休みといったところ。 アルジェは少し考えて、この説明を分かりやすく例える。 人の人生を一編の小説にたとえるなら、ここはその小説のプロットが滞留する地点である。それが作品として生まれでる運命にあるのなら、ここからはすぐ旅立っていく。だが、選択されなかった多くの可能性。つまり、没プロットはここに残り続ける。没プロットという名のゴミは、ここに滞留して増え続けるのである。 ここを発見者の権利として、アルジェは『星屑の部屋』と名づけることにした。 少し気取りすぎかと自嘲してみるが、よく考えるとそのままである。 誰にも管理されていない、このゴミ捨て場はまるで不法投棄が頻発する夢の島のような惨状になっていた。暇を持て余していた彼女は、そのゴミの一つ一つを見てまわり、適当に管理することにした。 するとそこに一応の秩序が生まれた。とりあえず、形だけ整えてはいるが、きっちりと分類できているとまでは言いがたい。整頓は出来ているが、整理はできない。使われていない、誰もくることのない資料室といった程度の乱雑さか。研究所時代の図書館書庫が、こんな感じだったと懐かしく思い出す。 アルジェの勤めていたテキサス研究所の図書館書庫がちょうどこんなうらぶれた感じだった。何層にも分かれた図書館書庫の最下層には、古い紙の資料が半ば整理を放棄された形で押し込まれていて、一応研究できるような最低限の設備もあったのだが、誰も使用していなかった。 人が寄り付かないことをいいことに、幼い日のアルジェは、そこでよく時間を潰したものだった。自分とは一回りも二回りも年齢が上の研究員とは、仕事でならともかくプライベートでは話が合わない。そんな人間たちが集まるカフェで、遠巻きに見られながらではくつろげないというものだ。 誰にも顧みられることもなくなった、古い紙たちの匂いだけが、アルジェの早急な成果を求められる研究で、ささくれ立った気分をやわらげてくれた。 「役に立たないものは存在する価値がない」 そんな功利主義そのものの価値観を標榜するテキサス研究所の中にすら、こういう場所が存在する。人間社会が生み出す余分や余裕というもの、そのことを実感できたことが、アルジェの人間的な情緒を最低限育ててくれた。そのおかげで、狂わずに済んだと言い換えても良い。 数学で条理は解ける。だが、数学で人間は解けないのだ。人間は不純であり、純粋な理性ではないから。そして、そのような不純が交じり合った世界を解こうとすれば、割り切れぬカオスを飲み込まなければならない。 だからこのような、プロットのゴミ溜めがあることは、暇をもてあました世界の遊びであろうと、鷹揚に構えるべき―― 「混沌とした結論」 こけ倒れていた机を建て直し、埃を払う。椅子の代わりになりそうな台を見つけて腰を落ち着ける。 「図書館司書というのも一度やってみてもよいな」 手近の没プロットを紐解きながら、ゆるりと珈琲を飲み飲み、分類作業を始めた。それは作業そのものが娯楽であり、そこに意味を求められない楽しさがあった。
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