マサキが催眠を使い出してから半年が経過していた。 「あらあら……お帰りなさい」 マサキがツバメと鳥取家に帰宅すると、大きなお腹を抱えた鶴奈さんがで迎えてくれた。庭先の小さなスペースを使って、鶴奈さんは季節の花を育てているので、その手入れをしているのだろう。無理は禁物だといったのだが、安定期に入っているので運動はしたほうがいいのだそうだ。 最近、鶴奈さんは母乳がしっかりと出るようになってきた。今日あたり、また飲ませてもらおうかな。それとも、コーヒーにミルクとして入れるプレイがいいか。そんなことを考えていると、後ろからツバメに頭をはたかれた。 「あんた、へんな目で義姉さんをみるんじゃないの!」 「なんだよ……ぼくは、こう純粋に妊婦の美しさをだね……」 「はいはい、あー最近階段を登るのがしんどくなってきた」 ツバメのお腹もけっこう出だしてきてるのだ。 「胸もまた大きくなってきたし、この前まで酷かった吐き気がおさまってきたとおもったら……今度は胸が張るのよね……ねえマサキ、どうしてだかしらない?」 「いや……成長期だからじゃない」 「そうなのかな、いやだなあ……」 まだ、ツバメには妊娠していることを知覚させてない。そのうち、そのうちとごまかしているうちにこんなことになってしまった。バストもまた一回り大きくなってきたみたいだし、こんなのよくばれないよなあ。 「まあ、よくなるようにおっぱい吸うマッサージやってあげるから」 「ほんとによくなるの? まあ後でお願いするわ」 マサキは、妊娠ですっかり乳輪が黒くなってしまっていてそれでもなお、いっそう美しいと思えるツバメの乳を吸いまくった。濃密な甘い味がする、乳腺を刺激し続けた甲斐もあったのか、ほんの少しミルクが出るようになってきた。 そして、愛しげにツバメの腹をさすりながらマサキはこれまでのことを考える。 ツバメと希の妊娠がきちっと分かったあとで、まだ妊娠していない女子には、例の排卵誘発剤を使ってきちっと妊娠させた。効き目は強力ということでどんな子供が生まれてくるか今から楽しみだ。 多数の妊婦の世話に備えてDLOから来た医師は、犬居伊知朗というぱっとしない中年の先生だった。しょぼくれた中年親父だとも思ったが、さすがに医師らしく白衣を着て仕事に望む姿は、それなりの威厳と風格があった。こんな立派そうな人がDLOに身を寄せているのは意外だとも思ったのだが。 「これでも、総合病院の産婦人科の医長をやってるんですけどね」 「そうなんですか……よろしくおねがいします」 「出張の仕事は部下に任せるんですが、今回は特別です。それにしても、中学生妊婦とは……診察がとても、楽しみですなあ」 そういっていやらしげに手をくねらせて笑う。その顔は、ただのスケベ親父だ。やっぱり、DLOメンバーなだけのことはある。 本当に、この医師に任せて大丈夫だろうか。ネット探偵は名医だと言っていたのだが。マサキには産婦人科医の知り合いに他に伝がないので、この人に任せるしかないのだ。とりあえず、先にクラス全員を妊娠させておいて正解だった。 そういえば、ネット探偵の正体もマサキには意外だった。クラス全員の女子のお腹が大きくなったこの壮大な光景を自慢したくて、ネット探偵を学校に呼んでみたのだが……やってきたのは自分のクラスの担任だったのだ。 「先生が……ネット探偵だったんですか」 「ああ……見事な催眠術師になったな、安西マサキ」 「……」 「だから君へのイジメを止められなかった私を許してくれとは言わない、言う資格はない」 DLOからも正式メンバーとしての認可が下りるようにネット探偵……いや、このクラスの担任である相模原政明は掛け合ってくれたらしい。ネットゲームの世界で、相模原先生とマサキが会ったのも偶然ではなく、最初から先生が仕組んだことだったのだ。 相模原政明はDLOで『最弱の催眠術師』と言われている。催眠の才能が皆無で、どうやっても自分では一切催眠術は使えないからだ。それでイジメを止めることもできず、ずっとマサキのことは気にかけていて、DLOで新型催眠器具のテスター養成を担当している自分の立場を利用するという方法でしか、マサキを救えなかったのだという。 相模原先生のいうことはわかる。マサキが救われたのはネット探偵のおかげ、そのことは心から感謝する。だが、教師として許せるかというと、まだそんな気にはマサキはなれなかった。 それでも、許すべきなのだろう。佐藤理沙のこともあるのだから。 マサキは、ツバメのお腹をゆっくりマッサージしながら、お腹に詰まっているツバメとマサキとの子供のことを考える。 「あっ……いま少し動いたかな」 「もう、何をわけのわからないことをいって……ちゃんとマッサージしなさいよ」 まだ胎動を感じるようになる時期には少し早いはずだ。きっとマサキの気のせいだったのだろう。それでもツバメのお腹には、そして鳥取鶴奈や佐藤理沙や円藤希の中にはマサキの子供たちが詰まっている。 それは、マサキの輝かしい未来の象徴に思えた。ツバメの、そしてクラスの女子たちの子供がみんな無事に生まれてきたら、そのときがきたら全ての過去を水に流してしまおう。相模原先生だけじゃない、自分をイジメ虐げてきた人間全てを許すのだ。 そして、マサキは自分が求める催眠術を手に入れる。輝かしい未来を。その熱を、その光を、マサキは今この瞬間確かに感じて、この手で優しく抱きしめられるのだから。 ―――― 保健室で、アルジェが荷物をまとめているところに、教員の相模原政明が入ってきて声をかけた。 「いくんですか、アルジェ・ハイゼンベルク」 「ああ、ここまで来たら私の力も必要ないからな。相模原、私のことを暇人だと思ってるんじゃないだろうな」 「まさか、ご多忙は承知してました」 「ここまでやれば、お前も満足だろう。ミドルスクールというやつにも一度行ってみたかったからいい機会だった、まさか保健の先生をさせられるとは思ってなかったが、楽しかったよ今度の休暇は」 「今回のこと、ありがとうございました。おかげで、安西マサキを救うことができました」 「あれは、いい人材に育ったな。お前も立派な教師をしてるじゃないか。あの年齢で、あれだけの知性を見せる生徒は、うちの研究所でもそうはいないぞ」 「天才少女の貴女がいうと皮肉ですね……それに、私は悪い教師ですよ。安西マサキを救うために、佐藤理沙を損なってしまったんですから」 相模原政明も教育者でありながらDLOに身を寄せている身。決して善人であるわけではない。ただ、自分が過去にイジメを受けていた経験から、マサキは救ってやりたいと思っただけだ。それでも、それによって傷つき心を失ってしまった少女を見たときに、自分の行動は本当にそれでよかったのかと自問せざる得ない。地獄から一人の若者を救い出したために、一人の少女が地獄に落ちる。だったら、自分のやってしまった行為とは何なのだ。 黒いメイド服をつけて人形になっている佐藤理沙は、これまで長らくメイドとして仕えてきたアルジェが出て行くことも必要がなければ知覚しない。ただ、理沙の瞳は虚空を見ているだけだった。彼女の心は、今も闇に覆われている。 「お前はよくやってるよ。全てを救うことなど、この私でも無理なのだから」 佐藤理沙への呼びかけは、マサキだけではなくて相模原政明も時間を見てやっていた。このような事態を招いてしまった彼なりの贖罪なのだろう。 「そうですが、それでも私は……」 「そうやってウダウダする男は嫌いだ――それとも、マサキだけじゃなくてお前までカウンセリングが必要か」 そういって、アルジェは小さく笑う。 「冗談は、やめてくださいよ」 「お前らは、すぐ悪だの善だのいって自分の行動を評価するが全部下らんことだ。人間は自分が正しいと思ったことをやればいい。あとは強さが正しさを証明してくれる。安心しろ、お前は正しかった。私を動かせたのだからな、その時点で勝利だ」 「はぁ……貴女らしいご見識です」 それでも、やはり相模原政明の声に元気はなかった。 アルジェはムッとして、テーブルに催眠装置を置く。 「マサキに置き土産だ、この装置を身につければ、半径一メートル以内に微量の催眠電波が流れて周りの知覚を誤認させることができる」 「これは……アクセサリータイプ?」 「だからだな、これを使えば女子中学生妊婦が街をうろつき回っても不審がられないということだ。マサキはマサキで対策を考えていたようだが、これなら完璧だから。マサキにやっておいてくれ、あとは任せたぞ」 そういって、アルジェはトランク一つを抱えて部屋を出ていく。それを見送ろうとする相模原にアルジェは思い出したように振り返って笑いかけた。 「ああ一つ、言い忘れた。佐藤理沙の心はもう元に戻っているぞ」 「へぇ…………は!?」 「だから理沙の心は戻っているといったんだ。理沙、人形化を解いてこっちに来い」 アルジェがそういうと、理沙はそろそろと歩いて二人の前に来た。相模原が思わず、理沙の顔を覗き込む、理沙の目にはちゃんと意思の光があった。 「理沙……大丈夫なのか?」 そういって、理沙を抱きかかえていう相模原。 「きゃ、大丈夫じゃないですよ……先生」 ちゃんと反応して、苦しそうな声を出す理沙を半年振りに見た相模原は、思わず泣いていた。 「ううっ……理沙……理沙……よかったなあ」 「……だからよくないですって……はぁ」 「理沙、もういいぞ人形に戻れ」 アルジェがそういうと、また理沙は物言わぬ人形に戻ってしまう。 「あ! なんで理沙を人形に戻したんですか!?」 「近くで叫ぶな、うるさい。理沙は今妊娠中だから、出産までは人形化しておいたほうが万が一のトラブルがなくていいんだ。女性は妊娠中は精神に均衡を欠くことが多い、余計なリスクは避けたほうがいい。マサキにはいうなよ、あいつが知ったらすぐ人形化を解こうとするから、人形化している間も理沙の人格は働いているし、これは理沙自身が望んだことでもある」 「……そうですか、無思慮で申し訳ありませんでした」 「まったく、バラバラに砕け散った心と記憶をつなぎ合わせるのに、私がどんなに苦労したと思ってるんだ。理沙への呼びかけは続けておけよ、とりあえず呼び戻しただけで理沙がもう一度生きることを望まなければ、私の努力も無駄に終わるのだからな」 「はい、肝に銘じておきます」 「ふん相模原、お前は私にどれだけ感謝してもし足りないぐらいだぞ、これで貸し二つだからな」 「はぁ……重ねて感謝します」 「まあ、本当は心が壊れて人形化した理沙の淹れたコーヒーが不味かったのが、元に戻した理由なんだけどな」 「貴女は、あいかわらずですね」 そう呆れたように苦笑する、それで相模原の声に元気が戻ったのを確認したアルジェはとても楽しげだった。 「フフッ、だから、私を動かせた時点で勝利だといったんだよ」 「そのようです、友情に感謝します」 「麗しき友情か。だが、友達といっても、貸しは貸しだからな。今度たっぷり返してもらうから覚悟しておけ、相模原政明。どんな補助器具を使ってもお前が一切催眠術を使えないのは、まれに見る強力な抗催眠体質だからだ。お前の才能を理解できないで『最弱の催眠術師』呼ばわりしているDLOの技術者はやっぱり二流ぞろいだな。お前の脳みそを開けて調べれば、どんなサイコディフェンスシステムが作れるか。フハハハハ、いまから楽しみじゃないか」 「貴女に貸しを作り過ぎましたから、覚悟してます。そのときは、お手柔らかにお願いします」 「じゃあ、また今度日本に来たときに会おう」 そういうとアルジェは、振り返らずに歩いていった。アメリカでの予定を消化して、相模原政明の体質を調査、データ収集するための人員と機材を集めて、日本に来るのは半年はかかる。 そのときは、マサキの「クラス総妊娠計画」も完成を見せていることだろう。弟子が成長して、一人立ちする姿を見るのは良いものだ。そして、そのとき完全に回復した佐藤理沙に、うまいコーヒーを淹れてもらえたら最高なのだが。 ……と、そこまでいい気分で考えて、アルジェは自分が帰る研究所の泥のようなコーヒーの味を思い出して顔をしかめるのだった。 「中二病の催眠術」 完成 著作ヤラナイカー
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