「エレベーターガール」後編 |
そこには、陣痛に苦しみ、壁に手をついていままさに、子供を生み出そうとしている同僚の坂下真由がいた。 臨月を迎えた妊婦が、エレベーターガールをしているという光景は、とても異様である。 それでも、なんとかその違和感を少しでも払拭するために。飛び出たお腹が目立たないように。彼女の身体が少しでも楽なように。 マタニティー用に特別にデザインされた、淡いピンクが基調のやさしい色彩のゆったりとデザインされた特注の制服が用意されていたはずだ。 それを特別扱いなどと言う同僚は誰もいなかった、福利厚生がいいことは望ましいことだし。私にとって一年先輩の坂下真由は、少しおっとりとしすぎているけど、明るくて誰隔てなく優しい性格で、みんなに愛されていたからだ。 その彼女のために作られたはずの制服は、剥ぎ取られて素っ裸にされていた。 出産するなら、仕方がないのか。それにしたって、何で、今この場所で!
「あああぁ……」 思わず、驚きの声をあげてしまった私の視線に気がついて、真由も私を見返した。 その目は怖いほどにうつろだった。笑っているような、泣いているような、全てを諦めてしまった人間のもの悲しい表情。 坂下真由は、先輩のはずなのに私より年下に見えるような、ちょっと抜けてる感じの天然で、それでも優しくて可愛らしい女の子だった。 私がこのセクションに配属になったとき、なれない仕事で小さいミスをしてチーフに怒られていたときも、彼女が私のミスで迷惑をかけられたはずなのに。 何も言わずに終わるまで横にずっと立っていてくれて、申し訳ない気持ちで見返すと、こっちがほっとするような笑みを浮かべてくれる、そんな素敵な女性だったのだ。 誰がこれほど、彼女の笑顔を、優しさを、幸せを、ここまで致命的に破壊してしまったのか。私は、胸の奥底から湧き上がるような熱い怒りを感じた。 だって、ただ陣痛の苦痛に耐えているだけの悲痛な息は、泣きはらして、その涙も乾いてしまったような目は、とてもこれから新しい命を生み出す母親の顔ではなかった。 これでは、まるで……!
「おや、ゆかりちゃんか。ちょっと早く来過ぎたみたいだね」 そう、声をかけてぬっと、あのオニギリ頭の男性客が私の前に現れたのだった。 「あのこれって!」 「ああ、ちょっと静かにしててね。ほら、こういうことだから」 男は、そういうと指をさした。よく見ると彼女の周りにはカメラが設置されている。 「ああぁぁ……それじゃあこれは、まさか!」 「そう今まさに『エレベーターガール坂下真由二十四歳 あたし箱の中で孕んで、破水して、出産しちゃう、悪い娘です!』の撮影が行われているのだよ」 信じられないことだった。 相変わらず、趣味の悪い長ったらしいタイトル。 つまりAVの撮影だったのだ。
私はそのようなことをこの男性客から言われたことがあったが、今のこの瞬間まで女性が妊娠するところのAVなどが存在するなどということは信じられなかった。 命の誕生を記録するドキュメンタリーというのなら分かる。 こうして、目の前にしてすら信じられないけれど……。 しかし、男性客の目は好奇の目だった。口はいやらしく涎を垂らさんばかりだった。 女性の大事な出産を、こういう最低な、いやらしい、悪魔的な鑑賞物として! 「あなたは……あなたは……最低の……最低の屑です!」 私だって、私だって人に言えないような酷いことをたくさんされてきた。 それでも、他人の立場に置き換えて、初めてどれほどここで酷いことが行われているのかと身にしみて理解できた。 これは、震えるほどの怒りだ! 「ゆかりちゃん、興奮するのはいいけど。とりあえず消毒して、そこの白衣でも来てくれないかな。ここは病院の分娩室と一緒なんだよ。雑菌が振りまかれるのは不味い」
「……何で、私がたしなめられるみたいになってんの!」 それでも、女性としては最もなことだと思ってしまったので、慌てて身体を殺菌消毒して綺麗な白衣を身にまとう。 「うん……この格好なら中に入ってもいいよ。カメラに写ったとしても白衣なら違和感がないからね。でも行動には気をつけてね。音声は編集できるけど、映像は編集できないから」 私は怒りで爆発しそうになっているけど、もう真由ちゃんの出産は始まってしまっている。 もういまさらどうしようもないのだ。 エレベーターの箱の中に入ると、白衣を着た壮年の男性と、年配の女性がいた。 なるべくカメラの邪魔にはならないようにはしているが、産婦人科医と産婆さんを付き添わせているそうだ。 お湯もたっぷりと沸かしてあり、緊急時に備えて各種医療器具も備え付けられてはいる。ちょっとだけ安心した。 でも……それでも。 私は、中に入ってしまったことを後悔した。 これなら、何も見ないほうがよかった。三十分どころか、遅刻して全てが片付いたあとに、交代に行けばよかったのに。 このときの私は何を考えていたんだろう。
私は、何も思わず誘われるように真由の裸体を見てしまったのだ。 真由は、おっとりとした性格にふさわしいように容姿もゆったりとしている。 ぽっちゃりしているというまではいかないが、肉付きが女性らしい洋ナシ形の体型といえばいいのだろうか。 私ほど極端ではないけど、ゆったりとした厚みのある胸に、柔らかそうなお腹。そして、とても大きいお尻。 妊娠するまでは、美幸チーフのようなスタイリッシュな体型とは逆の意味で、それはそれで女性としてあこがれる体型だと思っていた。 もちろん、妊娠してからだって、ピンクのマタニティーはよく似合っていたし、こんなお母さんだったら最高だなと思っていたのだ。 ゆったりとした胸だったはずの真由のおっぱいが、今の私の胸ぐらいに肥大したおっぱいが無理やりに、天に向かって吊り上げられており、おっぱいには青筋が走っている。大きく広がった乳輪は黒々としている。 そして、さらに色を黒くした乳頭は、私の親指ぐらい巨大に赤黒く肥大しており、紐につながって……天井にと引っ張りあげられている。
天井に引っ張りあげられているですって?
一瞬、私は理解できなかった。
乳頭の先に、穴があけられてピアスが突き刺さっているのだ。 ピアスに紐がくくり付けられて、その紐は天井に、くくり付けられている。 そのようにして、真由の大きな胸は天井へと無理やり引っ張りあげられる構造になっているのだ。そうして、真由が少しでも壁に着いた手や足を緩めると、ピンっと乳頭がピアスの紐でキリキリと引っ張り上げられて、その刺激で肥大化した乳頭ピアスの先から母乳が滲むように噴出す。 そのたびに、真由は動物のような悲鳴を上げる。
これが真由が立ったままの出産を強いられている悪魔的な仕掛けなのだ。
「なんで……なんでこんな拷問を……」 私は、もうそれを見ただけで嗚咽して吐きそうになっていた。 手で口を押さえて、何とか吐き気を押さえ込む、涙が滲む。 でもほんとにつらいのは真由なのだ。 「うぅーうぅーはぁーはぁーふぅーふぅー」 真由は口を半開きにして涎をたらし、陣痛と苦しげに息をつくだけだ。足を一杯に広げて、股からは子供の頭がすでに出だしているのだ。 もう何もかもが間に合わない。 どうして私はもっと早くきて、助けてあげられなかったのか。 そんな無理なことを思う。
大きなお腹には、妊娠線が走り、それをキャンパスに見立てたのか、あの男性客の汚らしい字でも、しっかりと分かるようにでかでかと書かれていた。
『公衆便所』 『孕み済』
これは、なんという陵辱だろう。人を侮辱するにもほどがある。 ただの油性マジックだ……きっと、消せば落ちるよね。 ピアスの穴だって、取ればきっと治るから。 元の真由に戻れるから。
今まさに、真由の股から子供が出るところまで私は見てしまった。 見てはいけなかった。あれはなんだ……。
普通は隠れているはずのクリトリスが肥大化してむき出しになっていた。 これはもう、さっきの乳頭よりも大きい。 小さい子供のおちんちんぐらいの大きさに赤く腫れ上がっている。 子供を産みながら、それは勃起してビクンビクンと屹立していた。
はっと気がついて、私は顔を上げた。 真由とまた目があった。苦しみの息を吐きながら、彼女は笑うように口をゆがめた。
私は真由を見て、男性客のやった行為に怒り、泣き、そして嗚咽する。
でも、真由はそんな自由すらない。 人は本当に辛いとき、苦しいとき、怒ることも泣くこともできずに、笑うのだ。 そして、そんな酷い顔を、そんな惨めな姿を、真由は同僚である私に見られたかったわけがない。 私は……私は!
これでは真由は、さらしものだ。ごめん、真由……見ちゃってごめん……。
もうどうすることも出来ずに、私はエレベーターの外に出ていった。 目の前は真っ暗だった。
そして、その瞬間に私は気がついた。
怒りなど吹き飛んでしまうほどの悲しみに襲われた。
私のお腹の中にもあの男の子供がいる。
これと同じことを きっとわたしも やらされるのだと気がついた。
私がフロアの影で一人嗚咽している間に。撮影は終わったみたいだった。 あんな拷問のような出産をさせられて、倒れ臥した真由ちゃんは自分の赤ちゃんを抱かされたベットのうえで。 もう気力も体力も尽きているだろうに、カメラとマイクを突きつけられて苦しい息を吐きながら。 「私の中に射精して、孕ませていただいて、産ませていただいて、ありがとうございます」 何度も何度も、そんな台詞を言わされ続けていた。 きっと事前に刷り込まれた台本なのだろう、壊れた機械のようだった。 「子供を産めて、おっぱいも出せて、女として最高の幸せです、いただいた命をこれから大事に育てていきます……」 かすれた声で、最後に聞こえたのはそんな台詞だった。消え行く真由ちゃんの声とは対照的に生まれてきた赤ん坊の泣き声は大きくなっていく。 そして、産婆さんと医師にタンカで担がれて、子供と一緒にたぶん病院に運ばれていくであろう真由ちゃんを見送った。 彼女は、もうこれでこの悪夢から解放されるのだろうか。
そして、私はいつ解放されるのだろうか。
また清掃の人がきて、先ほどのことが嘘だったみたいに、ピカピカに磨き上げられたエレベーターに乗って、私はいらっしゃいませを繰り返しながら、そんなことばかり考えていた。
……エレベーター 三ヵ月後
私はこの頃、お腹も少し出て悪阻が酷くなっていた。 妊娠初期でのセックスは、流産の危険がある。 そう吹き込んでやったら、男性客は私を犯さなくなった。 妊娠初期のセックスは流産の可能性をほんの少し高めるだけで、ほとんど嘘だ。 よっぽど酷いことをしないかぎり流産なんてするわけがない。 本当に流産するんなら、それこそ言わずにどんどんさせていた。 ただ、少しでもあの忌々しい男性客に犯されたくなかっただけのこと。 それも、安定期に入るまでの短い時間なのだろうけど。
私の膣を使わなくなってから、男性客が私を抱く頻度が下がったかというと、残念なことにそんなことはなかった。 こんどは、アナルに執着するようになっていたのだ。 毎日のアナルオナニーに加えて男性客がアナルばかり開発するもので、私のお尻の穴はだらしなく拡張されて、男性のものをくわえ込むようになっていた。 不思議なもので、感じ始めるとお尻の穴もなにか自然に潤滑油のようなものを出して、粘膜が傷つかないようにするのだ。 「アナルでも感じるようになってきたじゃないか」 「ああぁ!」 本当に遺憾なことに、私はお尻の穴でも感じるようになってはいた。 ある意味において、膣よりも敏感に感じ取ることが出来るそこは、男性客のものが限界を迎えつつ、ビクビクと震えているのを感じた。 ああ、またお尻の中に出される。
ドピュドピュドピュドピュ!
ピュルピュルと、濃い精液が私の直腸に入ってくる。 「ああ……またお尻のなかに」 これをやられると、絶対あとで下痢をするのだ。 私が嫌そうな顔をしているのを見ると男性客はペチリとお尻を叩いて。 その瞬間に、ジョワーと私の中に大量の液体が流れ込んできた。 「ああぁあ……」 「お前、公衆便所としての自覚が足りないんじゃないのか」 男性客は、私のお尻の中でおしっこをしたのだ。余りにも酷い扱い。 「ううっ……だって下痢するから」 ずぼっと、お尻の穴から引き抜くと、精液と一緒に男性客のおしっこまでもが噴出してくる。お腹は当然ぎゅるぎゅると鳴る。 私は、少し大きくなったお腹を押さえた。 「ほー下痢するから、中で出されるのが嫌なのか」 そういうと、男性客は何かを思いついたようだった。 その日は、これで解放されたのだが。
アナルセックスをするようになってから、する前に男性客はウエットティッシュや脱脂綿などで、私の肛門の中を殺菌消毒するようになっていた。 彼は、お尻の穴にも生で入れたいために、必ずそうするのだ。 私の身体の心配はしてくれないくせに、自分のこととなると神経質ぐらいにする。 こういうところで、この男性客の自分勝手なところがよく分かる。 「ありゃ、今日もお尻は綺麗なんだね」 万が一にも、黄色いものなどがついてしまわないように、執拗なぐらいにお尻の穴は磨き上げている。 もちろん、男性客のためにではなくて少しでも自分が恥ずかしい思いをしなくていいように。 私たち二人は、身体を重ね合わせて子供まで作ってしまってからも、こういう関係性なのだ。私が出来る抵抗というのは、せめてこれぐらいなのだから。
私のお尻の穴が綺麗であれば、それで男性客には都合がいいはずなのに、私の肛門が綺麗なのを確認すると、彼はいつもなんとなくつまらなそうな顔をする。 今日もそんな子供がおもちゃを取り上げられたみたいな酷い顔だったが、何かいいことを思い出したように笑顔になった。 またあの口が裂けたような悪魔的な笑顔。ああいう顔をするときは、ろくなことがない。 危険なサインを感じ取って私は身構えた。 「今日はいいものを持ってきたんだ」 そういって、男性客は汚らしい袋からイチジク浣腸をたくさん取り出してきた。 「まさか……」 「そ、そのまさかだよ」 私はあえて、下着の下だけ脱いで肛門から大量の浣腸液を注ぎ込まれる。 「そういう趣味もあったんですか、あいかわらず最低ですね」 「客にそういう態度はどうかと思うが。褒め言葉と、受け取っておくよ」 すぐに、私はお腹を押さえ込んでしゃがみこんでしまう。 ギュルギュルギュルと私のお腹は破滅的な音を立てて痛む。 「うううっ……嫌だあぁ、お手洗いに行かせてください」 「もってきたよ」 そういうと、男性客は赤ちゃんが使うようなアヒル形のオマルを差し出した。 どこまでも、馬鹿にしている。 「そんなとこに、できません!」 「大人しく、俺の前で排便しとけばいいのに、お前にはやっぱり教育が必要なようだな」 男は、冷酷な顔でそういった。 「ううっ……お願いだから、お手洗いに」 お腹からこみ上げてくる切迫感は、すでに限界のギリギリのラインだ。 このまま、男性客のいうなりに、こんなところで排便するのかと思うと、私は涙が出てきた。 「俺の前でしたくないみたいだから、今日はもういいよ。俺は別のエレベーターで、やってくるから。今日は解放してやるから、仕事がんばりなよ」 そういって、男性は緊急停止ボタンを解除して普通に出て行った。 それを合図に、お客さんが大量にゾロゾロと入ってくる。 これは……ちょっと待って。 私はとにかく立ち上がったが、余りの腹痛に声が出ない。 それでも、客を満載したエレベーターは自然に動き始める。下に向かって。 「うああぁぁ……」 もうどうしようもない激痛、私の下にはオマルが置かれている。 私、本当に、こんなところで……!
この絶体絶命のピンチに、私は思い出した。 そういえば美幸チーフに、本当の緊急時には押せって教えられていたボタンがあった。 私は藁にもすがる思いで、ボタンを押す。 (何も起こらない、やっぱりだめなの?) そう思った数分後、突然エレベーターが止まった。 「すいませんお客様方、どうもこのエレベーターに誤作動があったようですので、点検作業をいたします。隣のエレベーターを止めてありますので、そちらにお移りください」 美幸チーフは、テキパキと人払いをしてくれた。 私ひとり残して、エレベーターの扉は閉じた。 その瞬間に緊急停止ボタンを押す。 「もう……限界ぃ……」 パンツを剥ぎ取る暇ももどかしく、エレベーターの端っこでオマルに座り込んで、一人腸の中に溜まったものを全て吐き出した。
ブリブリブリブリブリ!
そんな音が響き渡った、いつもトイレは消音するので自分の排便する音を聞いたのは久しぶりだった。 すぐさま、下痢特有のあの嫌な匂いが立ち込める。 もう情けなさで涙なんて出ないと思っていたのに、やっぱり泣いた。 どうやってこのエレベーターから出ればいいんだろう……そうやって途方にくれていると美幸チーフから無線があった。 「すぐ、地下三階にエレベーターを回しなさい」 地下三階で扉が開くと、美幸チーフが待っていた。 扉が開いた瞬間、私の排便の匂いが伝わったはずだ。それでもチーフは冷静な顔を崩さなかったし、何も言わなかった。 「あの……チーフ……」 泣いている私の事情を察してくれたのだろうか。 「非常階段から休憩室にあがって、シャワー浴びていいわよ。安心して、ここは私が一人で清掃しておくから」 ちゃんと清掃係はいるのだ。そっちに任さずに、チーフ自らが清掃して痕跡も消してくれたことに、私は一生感謝している。
……再び地下三階 五ヶ月
そして、そんな美幸チーフもギリギリまで抵抗していたマタニティー制服を着る羽目になったころから、気張っていた糸が切れてしまったのだろう。 セクションの管理や指示に、精彩をかくようになり。一時的にということで事務長が、代わりに仕事を引き受けるようになった。 さすがに事務長も優秀で、シフトの管理は完璧にこなしていたけれど、個々の職員への細やかな精神的なケアまでは手が回らなかった。 いや、普通そこまでの管理はできないものなのだろう。美幸チーフが管理をしなくなってから、私たちはどれほど美幸チーフが優秀だったかを改めて知ったのだった。 そのチーフは、自分の仕事も休みがちになっていった。あたりまえだ、もう妊娠後期に差し掛かっているのだ。 普通なら仕事なんかしないだろう。 あの男性客だ。きっと、あの男性客がギリギリまでの勤務を強制しているに違いない。日に日に沈んでいく美幸チーフの様子を見ながら、私は口惜しい気持ちでいっぱいだった。
それと対照的に、明るさを増していったのが坂下真由だろう。 あの悲惨な出産劇のあと、きっちり二ヵ月後に職場復帰してきたとき。 身体もスリムに戻って、様子も前と変わらないぐらい元気だった。 私はあのときの悲惨な様子を思い出して、思わず目をそむけてしまったが、逆に気を使われてしまったぐらいだ。 子供は元気な男の子で、産後の経過も順調だそうだ。 福利厚生がしっかりしているこのデパートには、職員の託児室もあるので、その点ではまったく問題はない。 休憩がこまめにあるエレベーターガールの仕事が、逆に赤ちゃんにおっぱいを与えるのに便利だというのは、本当に皮肉な話だ。
私たち以外にも、エレベーターガールは軒並みあの男性客の被害を受けて、職員に妊婦さんが多いデパートというおかしな場所になってしまったが、一部好奇の目を向ける客も来る中で、なぜかマスコミやネットの口コミの話題などには広がらなかった。 もっとも、私も出演してしまった忌まわしいAVのシリーズは、裏ルートでかなり好評の売れ行きを見せているのだと男性客に自慢されたが。 目の届かない場所でやってくれる限りにおいては、私たちも破滅は避けられるわけで、心安らかでいられるというものだった。
「それにしても、あの時見た真由ちゃんの……」 わからない、お腹の文字なんて消してしまえば問題ないし、乳頭ピアスだって閉じてしまえばもう回復しているのかもしれない。 それでも、あの拡張されたクリトリスはどうなったのだろう。 そして、彼女はもう、あの男性客には襲われてはいないのだろうか。 それは、私の未来にとっても関係する重要な問題だ。 いろいろ考えているうちに、私はつい休憩室から非常階段を下りて、思い出深い地下三階に来てしまった。 別に私は職員だから来てはいけないという場所ではないのだが、普通に近づくべきではない場所である。 でも今日は、休憩室で同僚と煮え切らない話をしているより、一人で考えたい気分だった。 非常階段の扉からフロアに入ってすぐ、人の話し声が聞こえてきた。 その瞬間に分かった、私は引き返すべきだと。
それなのに、気がつかれないようにこっそりとエレベーターのある場所に、近づいていったのは、私がそのとき精神状態が不安定になっていたからだったのだろう。それでも、いいわけにはならないかもしれないが。 案の定、エレベーターは地下三階に止まっていた。エレベーターの中は、煌々と明るく通路の影からでも、簡単に中が見えてしまう。静かな地下では、声も響いてしまう。 「あれは、美幸チーフ……」 あの男性客に、抱かれて嬌声をあげているのは、今日は体調不良で休んでいるはずの美幸チーフだった。 「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」 あのプライドの高い美幸チーフが、素っ裸に剥かれてあの男にガンガンと腰を突かれながら謝り続けている。 毅然とした彼女のイメージが、私の中で音を立てるように崩れ落ちた。 見てはいけない。そう思う……そう思うけど。 「まったく、乳もねー尻もねー、お前はロリータちゃんかって話だよ。年増女のくせによぉー」 あの男性客はそういいながら、パチンパチン尻を叩いて腰を打ち付けている。 「ごめんなさいごめんなさい……」 美幸チーフは、綺麗な顔をクチャクシャにして、泣いている。 「俺は謝れなんていってねーだろ、もっと乳を大きくしろっていってんだよ」 「そんな……牛乳も飲んでるし、チキンも食べてるし、言われたこと全部やってます」 「やってて、これなのかよ」 「ひぎぃ!」 そういうと、男性客は強くしごるように美幸チーフのおっぱいを握り締めた。その瞬間に乳頭の先から、母乳がほとばしる。 ああ、美幸チーフはあんなにも、おっぱい出るようになってしまったんだ。 私は、見てはいけないと思うと余計に、これまで憧れてきた美幸チーフの裸体を見てしまう。 やせてスレンダーな身体だった身体は、妊娠によって見るも無残にお腹がぽっこりと突き出てしまっている。それが無残で、私は息を呑む。 胸は前よりも若干厚みをましたように見える。乳輪は小さく、妊娠のせいか黒々としている。だからこそ、肥大化した乳頭は黒光りして、ピンと勃起しているのが強調されているように見える。 男性客が、両手で強く掴むように、胸を根元からしごくたびに、その乳頭から乳をほとばしらせるのだ。 「ああっ……痛いぃ!」 「くそ、マンコを強く閉めすぎだ……出ちまう!」 腰を掴んでガクガクと何度か振ると、覆いかぶさるようにして身体を痙攣させる男性客。どうやら中で射精してしまったようだ。 「ああっ……また中に」 「畜生、何が中にだ。また無駄に射精しちまった。お前は、あれかマゾか何かかよ。虐められるとよく膣を締めますってか」 「私そんな……」 「お前は、最初に俺のこと見たとき見下してただろ」 「そんなこと」 「高慢そうな顔してるもんな……それがとんだマゾ女だと知ったらお前の部下たちはがっかりするだろうな」 「そんなことありません」 「いっちょまえに、母乳だけ出しやがって……何だこのすっぱい母乳は」 「ああ、吸わないで」 そういって、舐めるようにして乳頭に噛み付き吸い上げる男性客。 「お前、おっぱいは何カップになったんだ」 「Bです……」 「あのな、お前の部下はみんな二カップは大きくして甘い母乳だして、AVの売り上げにも貢献してるんだよ。何でお前だけ、Bカップなんだよ。せっかくこうやって揉んでやってんのに、お前だけ!」 「ひぐぃ」 そうやって、男性客は罵りながらまたおっぱいを鷲づかみにしている。 「いいか、お前の部下はみんな優秀なんだよ。AVのシリーズでも平均五万本は売り上げてるし、あの芹川ゆかりなんて、三十万部も売り上げて、この狭いアングラAVの業界でも空前のヒットって言われてるんだ。ファンサイトも出来てるし、未収録の元動画をアングラオークションにかけたら百五十万の値がついたんだぞ」 そんなことになってるんだ……私は、気になってさっと調べても外に漏れてないと思ってたのに、愕然とする。 「お前のAVは何本売れたと思ってるんだ」 「そんなのわかりません」 「八千本だよ、ありえねえだろ、たった八千本!」 「そんなあ……」 「初期ロット一万本で売ってるのに、二千本も売れ残って増版かかってないのお前だけなんだよ。二千本全部自腹で買い取るか、二千万払えんのかよ!」 「そんなこといわれたって……ううっ」 「何が悪いと思うんだ、自分でどうして売れないと思うんだ。言ってみろよ」 「……胸がないから」 「わかってんじゃねーか!」 そういって、男は乳を弄るのに飽きたのかパチンパチンと尻を叩く。もう、美幸チーフのお尻は真っ赤になっている。 「腹ばっか大きくなりやばって、このピザ女が」 「お腹は……お腹はやめて!」 腹に手を伸ばそうとする男性客の手を払って、自分のお腹を庇う美幸チーフ。当たり前だ。 「俺は、乳を大きくしろって言ってんだろ。そしたら残ったAVも売れるようになるからな」 「そんなの……そんなの無理です」 お腹を庇うように、泣きながら身を伏せて訴える美幸チーフ。 ため息をついて、男性客はそれを見下ろした。 「お前、野球チーム作るしかないな」 「え……」 いきなり、わけの分からないことをいわれて当惑しているようだ。 「あのな、エレベーターガールは毎年新しく入ってくるし、一人につき一回の妊娠で許してやろうと思ってたんだよ、優しい俺様は」 「はい……はい、ありがとうございます」 それを聞いて、彼女はとてもほっとした様子だった。 そうなんだと、私もほっとする。自分が今妊娠させられて、酷い産まされ方をされるのも心配だけど、もっと心配なのは先のことだ。この地獄が永遠と続くなら、そう思うともう目の前が真っ暗になってしまう。 実際に出産を終えて、帰ってきている真由の行く末が気になったのも、半ばそういう理由からだ。 これから入ってくる新人たちがやられてしまうのは可哀想でしかたがないけれど、やはりわが身が一番大事になってしまうのは人間だからしかたがない。
「だけど、お前は別だ」 「え……」 ほっとした美幸チーフの顔に、さっと影が走る。
「野球は何人でやるか知ってるか?」 「え……十一人かな」 また、野球の話? いったい何のつもりなんだろう。 「ばーか、お前どんだけ子供生むつもりだよ。十一人はサッカーだ、野球は九人だよ。お前、今年で何歳だ」 「二十八歳です」 「はあ……婆だな!」 「ひぃ」 「お前いまから、一年ごとに子供生んで、九人で何歳になるんだ」 「……三十五歳?」 「高齢出産だが、まあいけなくもないな」 「そんな、それって、いったい、どういう意味なんですか!?」 「だから、お前だけは何度も何度も妊娠させて、産んだ子供で野球チームが結成できるぐらい産ませてやるっていってんだよ」 「いっ……いやぁーーー!」 魂からの絶叫だった、あんな絶望的な顔をした美幸チーフを見たことがない。私も見ているだけで、心が凍った。
「お前のおっぱいが小さいのがいけねーんじゃねーか。こっちは善意でやってんだろ、妊娠一回で二カップ大きくなったとして、ああお前は出来損ないだから一カップしか大きくなんねーんだな」 「ごめんなさい……だけど、それだけは勘弁してください」 「順調にいけば、BCDEFGHIJカップじゃねえか。いいぞグラビアアイドル並みだ、三十五歳の婆になってようやくだがな」 「いやぁ……お願い、それだけは、それだけはぁ」 「こっちだって、婆けていくお前なんか犯したくないんだよ。しょうがねーだろ乳が大きくならないんだから」 「いやぁ……嘘、嘘でしょ」 「ほれ、もう一回やるから股開け、お前はオマンコも小さいから、そんなんじゃ九人も子供を産めないぞ」 「いやぁ……いやぁああ」
美幸チーフの絶叫が響き渡った。 私は、もう見てられないし、見るべきでもないと思ってそっと地下三階を後にしたのだった。 私は、美幸チーフを助けるべきだっただろうか。 確かに、彼女に救われたことがある。お返しはすべきだったのかもしれない。でも、飛び出して私に何が出来るっていうの。 私が出て行ったせいで余計に酷い目に合わせてしまった、坂下真由の件があって、それが私にストップをかけたのだった。 私に見られたことを知れば、美幸チーフをさらに惨めにさせるだけ。
美幸チーフの深い絶望の表情だけが、いつまでもいつまでも、私の心に深く食い込んで、さらに私の気持ちを暗澹とさせるのだった。 いったい、いつまでこんなことが続くのかと。
…………九ヶ月
「んっ……んふ……ん」 デパートの殺風景な地下三階に、設置された広々としたベットルーム。 暗くて静かな世界で、自分の吐息と男の息遣いだけが響く。 同僚と話していると、男性客があいかわらず酷い仕打ちをしているという噂を聞く。 私もそうだった、酷いことばかりされていた。 はずだったのだが。
最近、妙に男性客は私に対して優しいのだ。 弄るでもなく、罵るでもなく。 まるで恋人を抱くかのように、その手つきはやさしげで。 私のすでに大きくなったお腹を庇うように、やさしく抱いてくれる。 この人も、人の親としての自覚が出てきたのか。 少しは、私に人間としての情を感じてきたのか。 男性客の化け物じみた醜悪な表情を見ていると、そんなことは信じられない。 信じられないのだが。
半年以上にもわたって、ことあるごとに抱かれているこの身はもはや。 男性客の執拗ともいえる、愛撫を受け入れざる得なくなっている。 かつては一通りの性技も経験して、酷いことも気持ちがよいことも、やられほうだいやられたあとも。 こうして、飽きずに私を抱き続けるというのは一つの誠意なのかもしれない。 お互いに汗だらけになってセックスに没頭する。 股を突かれながら、腰をまさぐられながら。 粘膜同士の絡み合いを通して伝わる気持ちというものがある。 これは『愛情』ではない……『情』でもない……なんだろうこれは『やさしさ』 いや、もしかするとこれは『いくばくかの後ろめたさ』ではないか。 なぜか、そんな言葉を想起する。
もはやそこに私をどうこうようというような技術はなく、ただ愛されるように愛されて、撫でられるように撫でられるだけだ。 男はもう私の身体を蹂躙しない、私も犯されない。 そこには、突くと突かれる側の了解というものがあって。 男はもう、何も言わずに我慢せずに私の中に射精する。 その暖かい飛まつを、私はただ荒い息で受け止めるだけだった。
手馴れるとはそういうことで。 もう私は、抵抗する気持ちすらなく気持ちよくなってよかった。 どうせ、私はもう全てを失ってどうでもよくなった身体なのだ。 先も、後も、考えることなくひたすらに。 お互いに三度きっちり果てるまで、男性客は私を抱き続けていた。 そんなことが日常の一部になる。 何も考えなければ、割と居心地のいい生活がそこにはあった。
…………出産、十月十日
一日の仕事を終えようとしたあたりで、産気づいた私は地下三階に運び込まれた。 事前に何度も、説明されていたことだから驚きはしない。 撮影の準備もされていて、ちゃんと医師もそこには待機されて私を待っていたのだから。 もちろん、いまから産もうという子供の父親もそこにはいた。 「さあ……どんなことをするつもりなんですか」 私はだから、産気づいて荒い息を隠して、できるだけ平然とした顔をして男性客にそう言葉をぶつけてやる。 あんな酷いシーンをたくさん見せられたのだ、私だって覚悟はしている。 「どんなことって、ゆかりちゃんには普通に出産してもらうだけだよ」 「はぁ……」 私は気が抜けて倒れそうになった。 「もちろん、撮影はするけど普通に産んでもらえばいいから」 「へ……ほんとに……」 「ほら、ベットに横になってもう破水始まってんでしょ」 信じられないけど、信じるしかなかった。 もう覚悟してきたのに、男が優しい言葉をかけてくるから気が抜けて腰が立たなくなってしまった。 そうしてたら、気張った気持ちも抜けてお腹が痛い。 あー、これ本当に張り裂けそうに痛い。 教えられた呼吸法とか、何とか、総動員して、もう他の事にかまってる余裕なんてないから。
こうして、後はもう必死で出産するしかなかった。 想像以上に痛くて苦しかったが。 無事終わってくれただけでも、神様に感謝すべきだろう。 何事もなく、無事産めるなんて思っても見なかった。 それが幸せで、何かしっぺ返しがありそうで、それが怖かった。 その一方で、文字通り産みの苦しみを味わったのだから、これ以上のことなんてないと思っていたのだが、やはりまだまだ考え方が甘すぎたのだ。
…………そして、出産後
私の出産は、とりあえず無事幕を閉じた。終わってみるとあっけないものだ。 子供を産んで病院に運び込まれた後も、あの男性客はとてもやさしくて言い切れない不安を感じたので、私はこう駄目押しした。 「あの、これで私……解放されるんですよね」 「はい?」 「新しいエレベーターガールが次々入ってくるから、一人一回しか孕ませないって言ってましたよね」 「あれあれ……そんな話を誰に聞いたのかな」 男性客は、なぜだかとても拙そうな顔をして笑っている。どうして? 「私、この娘を一生懸命育てます。母一人娘一人で立派に生きていきますから」 「いやいや……」 男性客の要望どおりに答えてるはずなのに、どうして反応が悪いの。 「え? あ……あの私の中にドピュ!っと出していただいて、本当に孕ませていただいてありがとうございました。私はこの娘も産めたし、おっぱいもこうして一杯出るようになったし、女の喜びをいっぱい味わいましたので、もうたくさ……もう十分すぎるほど」 だから、終わって……終わってよ。
男が黙り込んだので、私も黙った。あの時、地下室で何度も何度も俺の子供を孕ませるぞと脅された美幸チーフのことを思い出す。 あの悪夢、あの恐怖。ああ……。
「あのさあ……申し訳ないんだけどね」 「やっぱり、私はまたお客さんに犯されるんですね」 悪夢は、終わらないのだ。もう私の人生は、終わってしまうのだ。 「……そうじゃなくてね」 「はい? 私はまた貴方に犯されて孕まされるんじゃないんですか」 「いや、そうじゃない。俺はもうやらないんだけどさ」 「じゃあ、私は……解放されるのよね」
もう、私はこの男性客に犯されない。これはしっかりと聞いた、この人がいうのだから本当にそうなのだ。だったら、この沈黙はなに。ただ、私を不安がらせて弄んでるだけかも。 沈黙を破った男性客によって、そんな望みは打ち砕かれた。 「ゆかりちゃんの作品大人気でさー、それでちょうどうちのレーベル一周年記念だったから、冗談というか、ノリというか、そんな感じで『芹川ゆかりを次に孕ませる権利!』なんてのをアングラオークションに出展しちゃったのね」 「えぇ……ええええ!」 「もちろん、もちろん冗談だよ。最低落札金額一千万円にしてさ。そしたら、誰も落札しないと思うじゃん」 「そ、そうですよね」 自分が冗談でも売られてるなんて不愉快だが、いくらなんでも一千万円の価値が自分にあるとは思えない。 「それがさ、三千万円で落札した人がいたんだよね」 「えぇ……えええええ!」 「もちろん、冗談だからってすぐ断ろうと思ったんだよ。そしたら、その人が直接うちの事務所に訪ねてきてさあ」 「怖いヤクザ屋さんかなんかだったんですか」 ヤクザに売られるとか、この男性客より怖いんですけど。 「いや、それが糖尿病と痛風を併発しているっていう頭禿げたおっさんでさ。四十八歳ニートっていうんだよ」 「はぁ……」 私は、ほっとして拍子抜けした。ニートが三千万も出せるわけがない。きっと悪戯で落札しちゃったから、謝りに着たんだ。 「それがね、ポンと三千万持ってきたんだよ」 「えぇ……ええええええ!!」 「それが話を聞いたら、親の遺産を全部売っても足りなくて、消費者金融をハシゴして三千万きっちりかき集めてきたっていうんだよ。ポケットのなかのヨレヨレのお札まで綺麗に並べてきっちり三千万。そこまでやるかって話だよ、すごいよね、感動だよね……もう、その話を聞いたら俺は男泣きにないちゃってさ。どうぞ、ゆかりを何回でも孕ませてやってくださいって言っちゃった」 「えぇ……えええええええええええ!!!」
私はどこか遠くに意識が飛びそうなった。 駄目だ、現実逃避しちゃだめだ。このままだと無理やり話を固められてしまう。 何回でも犯すってなんだ、そいつと結婚でもしろというのか。 もう娘だって産まれているのだ。私は一人の身体じゃない、しっかりしないと。 「もう本当に感動した、娘を嫁に出す心境ってあんなのかなあ、そういうことだから」 「待って……ちょっと待ってください!」 「はい?」 口答えされるとは思ってなかったのだろう、男性客は意表をつかれたような顔になった。 「私がいくら給料もらってるか知ってますか」 「いや……なにいきなり、そんなの知らないけど」 いきなり質問されて、びっくりした顔をしている男性客。そうだ、いつもこういう感じで、男性客にはめられたんだから今度はこっちのペースに乗せるんだ。 「貴方は、私に娘を立派に一人で育てろといいましたよね」 「たしかに、いったねえ……」 「私のお給料では、子供を大事に育てるなら一人で精一杯ですよ。そんな何人も子供ができたら育てられません。話に聞いたら、そのニートの人も借金まみれみたいだし、どうですか無理でしょ」 「ふーん」 「だから、その話は断ってきてください」 「ゆかりちゃんは、一人目の子供しか育てるお金がないから二人目は無理だっていう、それでいいんだね」 「はい」 このケチな男性客が、養育費とか出すわけない。私に一銭たりともお金をくれるわけないという確信があった。 だからこそ、打って出られた賭けだ。 「じゃー、安心してニートの人と一緒になるといいよ」 「はい?」 一人目の子供の養育費でも払うっていうの……この男性客が、ありえない。それは、ありえないはずよ。 「いやーよかった、どう切り出そうか迷ってたんだけど、実はゆかりちゃんの娘のほうもアングラオークションに出したら、やっぱり三千万で落札されちゃったんだよね」 「えぇ……」 「乳飲み子をすぐ放すのはかわいそうだから、まあ乳離れするまで育てたら、買ってくれた男性のところに引き渡すといいよ。それでお金の問題も万事解決するし、ちょっとゆかりちゃん、聞いてるの……」
男性の声が遠くなり、私の意識は深い眠りの世界へと現実逃避を始めた。 とても眠たい、ずっと眠っていたい。 せめてもう少しだけ……どうせ目を開けたらまた新しい地獄の日々が始まるのだから。
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